やっと

出産までの記録
 18日の健診が終わった後、オットと二人で吉祥寺へ。結婚の内祝を買い配送を依頼。その後、ちょこちょこと買い物がてら散歩をして帰宅。晩御飯を食べ(小ざさ近くの魚屋で買ったトビウオの刺身が美味だった!)、いつものように遅めの就寝。
 が、明け方近くに腹痛を感じ目が覚める。とはいえ、さほど強い痛みではない。が、ちょっと辛いので、そのまま昼近くまで休む。
 午後も時折腹痛を感じる。徐々に痛みが強くなっているよう。夕食はオットに作ってもらうことに。ベッドで少し横になる。オットはクリームシチューを作ってくれた。腹痛にもかかわらず、2皿ペロリ。
 痛みの合間に入浴。湯船に浸かると少し痛みが楽になった。が、ベッドに入っても痛みで寝られない。こうなったら寝られるまで本でも読もうとベッドで読書。
 明け方4時頃、かなり強い痛みを感じる。横になっているのも辛く、起きてソファに座り「このまま朝を迎えて病院へ行こう」と思う。
 4時半頃にオットも起きだす。状態を話すと一緒に起きていてくれるということに。
 だんだん痛みと痛みの間隔が短くなってくる(といっても20分に1回程度)。というこは、これは陣痛なのか? と思い始める。でも予定日(4月1日)まではまだあるので「前駆陣痛なのでは?」とも思っている。痛みを耐えつついろんなことを考え始める。部屋の掃除もまだだし(ちょっと前までオットの仕事で忙殺されていた)、入院準備もまだしていないし、赤ちゃんグッズもまだ完備していないし…。
 とにかく聞いてみなければ、と朝イチで病院に電話する。助産師さんに現在の状態を話すと「様子を見てお昼頃また電話して。それまでちゃんとごはんを食べたりお風呂に入ったりしておいてね」と言われる。
 お風呂は昨夜遅くに入ったのでいいだろうと思い、ごはんを食べることに。が、さらに痛みの間隔が短くなり、とても食べられる状態ではない。このとき、痛みの間隔は約15分おき。助産師さんに教わった深呼吸で痛みを逃がそうとするが、ちょっと辛い。
 昼過ぎになったので電話すると「初産だからまだまだ。陣痛の間隔が7〜8分になったらまた電話して。夕方頃にでも」と言われる。ちょっと横になるとかシャワーを浴びるとかしたほうがいいとも言われたので、とにかくそうすることに。痛みがかなり辛く、動作がスムーズにできない。
 トイレに入ると、おしるしが来ていた。ようやく「ああ出産が近いのか」と認識する。
 夕方、また病院に電話。陣痛も7〜8分間隔に。が、「夕ごはんを食べてからいらっしゃい」と言われる。とても食べられる状態じゃないのに! と思いつつも、オットにおにぎりを買ってきてもらい、なんとかひとつを胃に詰め込む。
 動くと痛みがずーっと続くので、ノロノロとした動きで着替え、タクシーを呼ぶ。しかし、どこのタクシー会社もNG(あまりに突然で事前にお願いしてなかったから?)。仕方ないので徒歩で病院へ向かうことに。だが、2、3歩進むごとに強い痛みが襲ってくる。これじゃとても病院まで歩いていけない!
 人目を気にして裏道を行こうと思っていたが、タクシーが通る可能性を考えて表通りに出ることに。その途中、「陣痛ですか?」と声をかけてくれた女性が。「はい」と答えると自分が呼んだタクシーを譲ってくださるという。これぞ地獄に仏! ありがたくご好意に甘え、タクシーに乗り込む。
 運転手さんも気を遣いつつもすばやく走ってくれ、あっという間に病院に到着(もともと近いが)。夜の6時15分ぐらいだったか。
 助産師さんがロビーまで迎えに来てくれ、ヒィヒィ言いながら2階のLDRへ向かう。
 LDRに入ると入院着に着替えるように言われる。動くのがとにかく辛いので、またもやノロノロと着替えてベッドに横になる。
 「まだまだ時間がかかるから、のんびりテレビでも観てて」と言い残し、助産師さん退室。ええっ、という感じだったがそう言われたら仕方ない。テレビを観て気を紛らわそうとする。が、痛みでほとんど画面を観られず。飲み物を時々飲みつつ痛みに耐える。
 時間がどんどん過ぎていく。NSTをつけて赤ちゃんの心拍チェックを始めるが、一向に破水の気配なし。なので、陣痛の間隔も縮まらない。
 深夜になり、二人ともかなり眠くなる。でも寝られない。睡魔と陣痛との闘いになってくる。
 隣の部屋からだろうか、赤ちゃんの産声が聞こえてくる。どうやら先に出産となった人がいるらしい(入院は私より後のようだが)。羨ましい、早く私も…という思いが湧いてくる。
 陣痛が進むように、身体を横にするよう言われる。その通りの姿勢を取ると、今まで以上の激痛が襲ってくる。声を出すなといわれてきたが、あまりの激痛に叫びに近い声が出てしまう。しばらくしてから元の仰向けに戻っていいと言われ、正直涙が出そうなくらいホッとした。でもまた間隔は開いてしまったが…。
 また横を向いてとの指示。横を向くと、先程よりさらに強い激・激痛が! もうだめ、死ぬ!!! たまらず起き上がり、ベッドの上で四つんばいやら立ち膝やらいろんな姿勢をとって叫びまくる。オットにつかみかかり「ウガァーーーー!!!!!」とも叫んでしまった。
 結局、自ら元の姿勢に戻ってしまい、帰ってきた助産師さんに「あら、戻っちゃったの?」と言われ、オットがしどろもどろになりながら言い訳。
 そんなことをしている間に夜が明けてしまった。もう体力はほとんど残っていないように思える。オットもかなり疲れている様子。一体いつこの苦しみは終わるのか…、そればかり考えている。
 助産師さんがカーテンを開けた。まぶしい朝陽が部屋に差し込んだ。「私、もうすぐ交替なんだけど産まれるまでいるわ」と助産師さん。ということは、もうすぐなのか? と希望が見えてきた。各種機器のスタンバイも完了したよう。
 8時30分の交替で、もう一人の助産師さん登場。「どう、かなり疲れた?」と聞かれたので「もう2日寝てないんです」と答える。「そうよね、もう出しちゃおう!」と頼もしい返事が。あっという間に人工破水の処置をしてくれた(事後確認すると、子宮口はかなり前から全開だったらしい! なんてこと!!!)。
 ようやく本格的ないきみ開始。しかし、私の産道はかなりカーブしているらしく、赤ちゃんの頭が引っかかりなかなか出てこないらしい。
 陣痛の間隔もまだあるので陣痛促進剤を使うことに。と、にわかに陣痛が強まったような気がする。そこへ先生登場。「いよいよなんだ」と緊張してくる。
 やはりカーブ(と脂肪も)が邪魔してなかなか頭が出てこないので、吸引分娩にしようと決定。先生が吸引機をスタンバイ。
 「次の痛みが来たら思い切りいきんで」との声に、必死でいきむ。同時に掃除機のような音が聞こえるがまだダメ。どうやら機器の調子もよくないらしい。
 次の痛みで再度力の限りいきむ。今度は私の上に助産師さんが乗りお腹を押す。オットも「旦那さん、押さえて!」と指示され私を押さえ込む。
 天井に向かって突き上げるようにいきむ。「頭が見えたよ」「もうすぐだよ」など、いろんな声が聞こえる。
 身体が引き裂かれそうだ。
 一息入れてもう一度いきむ。
 頭が出た感覚があった。
 そしてすぐに全身がするっと出る感覚。
 「産まれたよ!」という助産師さんの声。「うわーっ」というオットの声。
 そして赤ちゃんの泣き声。
 2004年3月21日、午前9時37分誕生。
 「あ、泣いた」と思わずつぶやく。自分が仮死状態で産まれ泣かなかったというので、ちょっと気になっていた。
 オットが「うわー同じだぁ」と言っている。後で聞いたら、鼻の形が私の父にそっくりだってことらしい。
 へその緒を切られ、私のお腹の上にやって来た。全身を真っ赤にして泣いている赤ちゃんを抱いて「ああ、やっと会えたね」と話しかけた。どこかで聞いたようなセリフだが、本当に心の底からそう思った。ようやく会えたんだ。
 安心と嬉しさと感動で泣くかなと思ったが、涙も枯れるぐらい疲れきっていた。オットはちょっと泣きそうだったらしいが。
 私の縫合の間(いつ切られたのか分からなかった。切るとは言われてたが)、赤ちゃんは計測に。先生が縫合しながらいろんなことをゆっくり話してくださった。いいお話だった。私の高ぶった気持ちは徐々に落ち着いていった。
 その頃、LDRの外では計測を終えた赤ちゃんをオットが抱いていたらしい。
 体重3330g、身長50.2cm、元気な男の子だ。
 LDRでしばし親子3人の時間を過ごす。初めての家族水入らず。すっかり落ち着いた赤ちゃんは、私たちをじっと見つめているような様子を見せていた。
 助産師さんが「お乳をあげよう」とやって来た。ベッドに横になったままお乳を口にふくませる。なかなかうまくくわえられない。が、徐々に吸う仕草を始めた。おっぱいを吸われる感覚。「赤ちゃんを産んだのだ」という実感がぐんと湧いてきた。
 こうして、我が家は「3人家族」になった。